資本主義と幸せと僕の人生。
「自分の子どもに残したい!、と思うような社会を創っていきたい。」
ここ数年想い続けてきたことです。
何をやりたいのかと聞かれると、「海外旅行に行きたい」とか「結婚したい」とか、、言いたいところです、僕も。
もちろんそれもやりたいことではありますね。ええ、もちろん。
でもそれだけでは足りないことに気がつきました。
何かが決定的に足りない。
それは「自分がたった今生きている」という感覚です。
人はなぜ山に登るのか
人はなぜ命をかけて、苦しいにも関わらず山に登るのか。
この問いに対してよく下記のような答えを見かけます。
「自分は、今生きているんだと実感できる」
いつも危険と隣り合わせの山登り。
時には命をかけ、多くの困難を乗り越えると、ご褒美として山頂の素晴らしい眺めと達成感がもらえる。
困難にぶつかった際、自分の持てる全ての力を出しきるというプロセスと、報われた時の達成感。
とても単純なことですが、それらが人に「今自分は生きている」と感じさせるのだと思います。
僕もこの山登りのような感覚を得たいと思っています。
しかし、あくまで山登りをしたいわけではなくて、「生きているという実感」が欲しい。それも毎日。
日々の仕事とやりたいことは相反するのか
最近山登りがブームになっているようです。
多くの人にとって、山登りは日々の仕事の疲れを忘れさせるのにうってつけなのでしょう。
もしくは、休日の山登りのために、日々の仕事でお金を稼いでいる、という人もいるかと思います。
趣味があるのはいいことです。
でも逆に言うと、人生の多くの時間を「つまんない仕事」に費やしているということにもなります。
僕にはそれがたまらなく苦痛で、死にたいとさえ思ってしまいます。
もちろん山登りを仕事にしている人もいます。
「好き」を仕事にまで昇華できた素晴らしい例だと思います。
が、実際そんなことができるのは、みんな知っているとおり一握りの特別な人間だけです。
では、なぜ世の中の人が「好きなことだけ」をできないのかと言うと、、
言わずもがな「お金」が理由です。
資本主義社会である近代社会は、「お金」なしには生きていくことすら難しい状態がずっと続いてきました。
「お金」の価値が下がってきている
しかし、今社会は、転換期を迎えています。
インターネットの発達により、働かなくても生きていくことが実現しつつあるんです!
例えば、「日本一のニートを目指す」phaさん。
一度Twitterやブログを見てみてください。
シェアオフィスや他の人からモノをもらうなど、働いていないにも関わらず毎日をだらだら過ごしているようです。笑
僕がやりたいこと
前置きが長くなりました。。
僕がやりたいと思っていることは冒頭に書いたとおりです。
「自分の子どもに残したい!、と思うような社会を創っていきたい。」
今社会が劇的に変化しています。
インターネットが発達し、価値観が変わり、自分の子どもに残したいと思えるような、新しい働き方、ライフスタイルのあり方も変わってきています。
親を始めとして彼女も会社の人も、「はあ? アホちゃう?」って思われるようなことです。
(というか実際思われてるようですが。)
でも僕は、やりたいことに挑戦することで「自分が生きている実感」を得られるのではないかと思っています。
というか今のところ、これしか考えられません!
自分の足で一歩踏み出す
実は、今までずっと一歩踏み出したいと思いながらも、ずっと踏み出せずにいました。
ずっと死んだも同然だった。
来年はやっと一歩が踏み出せそうです。
そして、自分の人生が始まろうとしていることにワクワクしています。
今の安定を放り出してしまってもいいのだろうかという思いは今でもあります。
でも、どんな困難があるとしても、死んだような人生を送るよりひどいことはそうそう無いはずです。
山登りは、山頂という結果だけでなく、プロセスにも生きる意味を与えてくれます。
誰に生かされるわけでもなく、自分の人生を、自分の足で立って、一歩ずつ進んで行こうと思います。
今後はブログ、Twitter等フル活用しますので、よろしくお願いいたします。